順天広場(現文化広場)から南を向いて順天大街の左にそびえるのが「国務院」であります、満州国の行政を司った最高府です
現在此処は吉林大学医学部となっております
「偽満州国国務院旧址」と明記されておりました
入り口の直ぐ裏には門衛の詰め所があります、如何にも昭和初期のデザインです、私の子供の頃は佐世保にも神戸にもこういった感じの戦前の建物が残っておりました、郷愁をさそいます、公衆便所もこんな建物が多かった
👇立って携帯をいじってる人が長春に住んでる甥(私の長男のビジネスパートナーのお姉さんの子供)、反日がひどい今は時期が悪いのでお名前は伏せさせていただきます、これから彼のことを「甥」と記述することにします
この国務院、どう見ても東京の国会議事堂ですよね、実際にモチーフにされたのは議事堂です
満州国に「国会」は存在しませんでした、もろ官僚の世界、関東軍は武力は強力でありましたが政治力は弱体、単細胞と侮られ表面はぺこぺこしている官僚に良いようにあしらわれていたというのが現実のようです
ここに若き日の岸信介が3年間勤務し実業部次長や産業部次長を歴任して「満州開発五か年計画」を策定したりしたのであります、現総理大臣の祖父が請われて満州に渡り辣腕を振るった場所です
国務院の入り口に一本の黒松があります
皇帝溥儀が植樹した黒松です
末代皇帝、ラストエンペラーの植樹であります👆、その横には建物の説明碑がある👇
実に重厚な正面
定礎碑、「康徳2年」は「1935年」です、康徳は満州国が帝政に移行した1934年を元年とする溥儀皇帝時代の元号であります、満州国自体は1932年に建国されていて元号は「大同」とされたのですが、溥儀はこの時点でまだ「執政」でありました、彼が皇帝として即位した1934年2月まで大同が使われており3月1日から改元されたのです
内部は玄関だけ見せてもらいました
天井に飾られた彫刻物
私には意味不明👆
再び外観
次は「満州国軍事部」の建物を見ます