一時帰国2017・2(荘田作逝去)


不幸は続くものなんでしょうか、義母の葬儀からアメリカに帰国して3日目の朝、神戸の友人から電話。まだ、私はベッドの上でスマホをいじくっている午前6時(アメリカ東部標準時19日の朝、時差ぼけで早朝から目が覚めていた)

こんな時間に彼から電話かかってくる理由はひとつしか無い「まさか、じゃないだろうな?」と私から先に言うと、『まさか、です、母が亡くなりました』という。愕然、というより「くるものが来たか」という虚無。

その方のお名前は「荘田 作」。かつては相愛大学の音楽教授(最後は名誉教授)であり、メゾ・ソプラノの歌手。敬虔なクリスチャン。敬虔という言葉はこの方の為にあるような信仰をお持ちでした。所属の教会では聖歌隊を組織して長年指揮を執られた。プロの育成には厳しく、ド素人の我々聖歌隊員には優しく。荘田泰哉という旦那を心から愛した貞淑な妻であり、2人の子供の母でありました。3年前から体調を崩してケアホームで静養されていのですが、昨年暮あたりから調子が下り坂になっていた。実は、帰国する際は例外無くお宅に御伺いし歓談し(といっても、私は美味しい食事を頂く一方だったけど)、ケアホームに入られてからも帰国毎お見舞いを欠かさなかった。私が20歳くらいの時からの御つきあいだから50年近い御交情を頂きました。ご夫婦には私たちの仲人役もお願いした、恩のある方、

早速の知らせにお礼を言って(お悔やみを言うのも忘れて)電話を置いて、直にネットでその日のフライトの空席状況を検索にかかった。家内も私の早急な帰国に直に賛同。その即答には本当に嬉しかった。

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最も早い飛行機を予約、当日の正午にニューヨークを出発するJAL5便が取れた。出発まで4時間しかない。9時過ぎにはタクシーに乗っていた。義母の葬儀から帰ったスーツケースは半分も処理してなかったので、そのまま元に戻してパック。

日本に着いたのは19日の午後4時過ぎ、成田で乗り換えて、神戸の姉の家についたのはお通夜が終わった午後10時だった、かろうじて葬儀ミサには間に合った

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葬儀の日、須磨から垂水へ行くJRの車窓からみた大阪湾、先生も相愛に通われていた時には毎日この景色をみておられたんだよなあ。

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気持ちを落ち着かせる意味もあって、この朝はウォークマンでベートーベン3番の第2楽章を繰り返し繰り返し聞いて垂水に行きました。ちょっとミーハーかな?とは思いましたが、聞いているうちに心が安まるのを感じました。結局3回もリプレイしてしまった。名曲たる所以。

そして我が教会に到着(こっから先の写真は浜崎さんから借用、私は一枚も撮ることが出来なかった)カトリック垂水教会

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作先生の指揮棒で三人の指揮者が交代でタクトを取らせていただきました

沢山の人々と沢山の御弟子さんの聖歌とミサ曲の歌声に送られた葬儀ミサとなりました

現在の正指揮者「浜崎繁一」、先生の愛弟子「吉村朋子」

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そして私

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先生と私は生前から御約束がありました『私の葬式には貴男の作った「アニュスデイ」と「主の祈り」は是非やってね』と。音楽の正規教育など殆んど受けてない私が作曲した曲にも心を掛けて下さる心の広さにただただ身の縮む思いでした。でも嬉しいお言葉でした。そして、その約束を果たせたことに心から感謝しております。

荘田先生、やっと泰哉さんのもとに行く事が叶いましたね

15年ほど前に旦那さんを亡くされてからガックリ気力が落ちてしまわれて、教会で歌も歌われなくなった。作先生の美しい発声と日本語を大切にした歌唱は聴くものを魅了する「何か」がありました。それをまた聴きたい、と言うと『私の声は死んだの、泰哉と一緒に死んでしまったの』『もう、(声が)出ないわ』と寂しそうに、でも納得したように、よく言われておりました。

sensei

先生、、、、、、ありがとう御座いました

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