デイトン空軍博物館(B-29「ボックスカー」)


デイトン・エアショーの帰り道、念願の空軍博物館(正式名称:Nationa Museum of The United States Air Force)に立ち寄った

目的は長崎に原爆を投下した「ボックスカー」というB-29を自分の目でみるため

博物館は広大な展示場が3棟もあって全部見るには1日はかかるなと思った、珍しい飛行機が所狭しとおいてあって目移りする(実際、見たかったB-36など魅力的な展示物を全部パスしてしまった)、我慢、目指すは「ボックスカー」

なんと件の飛行機は「第二次世界大戦ギャラリー」に入った目の前に堂々と据えられていた

ワシントンのスミソニアン博物館にある「エノラゲイ」とは違って展示物との距離が近い、原爆投下に関する解説も詳細、しかも御丁寧に原子爆弾のレプリカまで添えて(原爆投下機の展示という意味では当然のこと)おそらく、ワシントンのスミソニアンという目立った場所ではなくオハイオ州の田舎町の博物館なので空軍の思うように展示できているのだと思う

プルトニウムMk-3核爆弾、通称「ファットマン」

これ一発で7万人近くが即死、最終的には長崎市民の半数15万人が殺された

すぐ横には広島へ投下されたMk-1「リトルボーイ」(ウラニウム核爆弾)も展示されていた、これは一般的な博物館に展示されているレプリカではなく「本物」の核爆弾であります、実物から核物質や起爆装置等を取り除いたものです、塗装も正規の研究所で再塗装されたもの

👆この「リトルボーイ」は「エノラゲイ」号によって投下されたのですが、現在「エノラゲイ」乗組員が一人だけ存命であります、名前はTheodore(Dutch) Van Kirk、航空士(navigator)でした

彼はデイトン・エアショーに来ていて最近著した本「My True Course」のPRなどをしておりました

黄色いシャツ着てインタヴューに応じている老人がヴァンカーク氏であります、彼はこのとき原爆についてはコメントしませんでした、本の副題は「Northumberland to Hiroshima」となっているので当然原爆投下に関してもページが割かれているでしょう、どのように記述されているのか少し興味はありますがわざわざ読む気にはなりません(Northumberlandはペンシルバニア州の彼の生まれ故郷です)、私個人としては「エノラゲイ」にしても「ボックスカー」にしても、搭乗員は彼らの任務を果たしただけで糾弾されるような罪は犯していないと思います、過去に「エノラゲイ」機長のポール・ティベッツを俎上に上げて彼の責任を云々する反核運動家などが居たりしましたが、全くの見当はずれ、裁かれるべき人物は原爆投下を命令した人とそれを推進した米国陸軍高官たちであります

「ボックスカー」の写真をもう少し続けます

「ボックスカー」のノーズアート、長崎爆撃の時には無くて凱旋後付けられた

ソルトレークから長崎へ有蓋貨車(Boxcar)で原爆を運びました、というふざけた内容です、ソルトレークは所属部隊のあった処、機名の「ボックスカー」は機長の名前のFrederick C. Bockからきていて、機長のBock(ボック)を箱のBox(ボックス)にかけてBock’s Carとしたらしい

👆機体シリアル番号👇爆弾槽

爆撃手

実際に原爆投下に従事したのは「グレート・アーチスト」の搭乗員で機長はスウィニー少佐、ボック機長は自分の飛行機ではなくて「グレート・アーチスト」を代わりに操縦して観測機役を努めた、ここら辺の話はややこしいのでここでは割愛

写真は「ボックスカー」に乗って爆撃を遂行した「グレート・アーチスト」の搭乗員たち

写真👆後列の右端に立っているのがスウィーニー機長

爆撃に関する解説パネル、原爆投下を正当化しております、いかに日本が頑強であったか、原爆がなければ連合国側のみならず日本国民側にも多大の犠牲が発生したであろうこと、これはフィリピンや沖縄の惨状からも想像出来ること、等々、、、書いてある👇

ここに書いてあることは現在大方のアメリカ人のコンセンサスを現しています、”もし広島・長崎で数十万人が死ななければ連合軍の本土上陸による戦闘によりさらに数百万の犠牲が出たであろう、だから原爆使用はそれを回避する唯一の方法であったのだ”、という流れです

(残念ながら「歴史にifはありません」)”そういった判断が正しかったのかどうか、という問いに対する答えは永遠に見いだせない、トルーマン大統領はそれまでの戦訓に基づき原爆の使用を命令したのであります”、、、、とも

確かに今の尺度でもって原爆投下についての善悪を議論することは空しいことかも知れません、アメリカはどこでもいいから原爆を使ってみたかったというのが真相かもしれないし、日本では終戦時においてさえも「本土決戦」を叫ぶ帝国軍人が多数いたのも事実です、アメリカに原爆を使うチャンスを与えてしまったのです

ただし、もう分かったんだから「こんなもん二度と使うなよな!」と声を上げる事は出来る、そんな使えもしない兵器なんぞ棄ててしまえと言える、日本人なら

しかしまたまた残念ながら、アメリカ人の沢山の人たちが👆このことを未だに理解できておりません、必要ならば(アメリカが勝つためならば)また使えばいいじゃない?程度の人が多いのです

シルバープレート(Silverplate)というスタイルの尾部機関銃だけを残して他の武装を全部撤去した原爆専用機、そんな飛行機で戦闘機の援護もつけないで日本領空に数機ばらばらに侵入してきて新型爆弾を落とす(日本軍は本土決戦のために戦闘機を温存していた、この頃になると爆撃機が来ても迎撃機を上げなかったのです、そしてその事をアメリカ軍は知っておりました)大胆な作戦に従事した飛行機を私は胸中複雑な思いで時間をかけて見たのでありました、小倉上空で雲が邪魔して爆撃出来ずウロウロしていたらさすがに芦屋から五式戦と築城から零戦がそれぞれ数機迎撃に上がったそうですが間に合わず、これを尻目に長崎へ移動してかろうじて雲の切れ目から見えた浦上地区へ核爆弾を投下したのであります

帰宅後、いろいろと調べているうちに、広島・長崎原爆投下が行われた直後8月10日付けで日本政府はアメリカ政府に抗議文を(スイス経由)送りつけていることを知りました、『このような未だかつて無い残虐性を持った兵器を使用したことに対して文明の名において米国政府を糾弾する』という至極まっとうな抗議文であります、この長い文章の存在は知りませんでした、毒ガスは使うな、細菌戦は国際法違反だ、などどいいながら一方では一般都市を絨毯爆撃するわ原爆を落とすわ、という貴国の暴虐ぶりは許す事が出来ない、という内容、当時の日本政府が時をおかずすぐさまこのような抗議文書をアメリカに送りつけたということはしっかり記憶しておくべきでしょう、一読の価値あると思います

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デイトン空軍博物館(B-29「ボックスカー」) への5件のフィードバック

  1. Caramelmild より:

    caramelmild でリブログしてコメントを追加:
    【搭乗員は彼らの任務を果たしただけで糾弾されるような罪は犯していないと思います、過去に「エノラゲイ」機長のポール・ティベッツを俎上に上げて彼の責任を云々する反核運動家などが居たりしましたが、全くの見当はずれ、裁かれるべき人物は原爆投下を命令した人とそれを推進した米国陸軍高官たちであります】

    なるほど。確かに。

  2. 得丸公明 より:

    丁寧なご報告ありがとうございます。語られた歴史、語られていない歴史、それぞれに思いを馳せました

  3. 小堀和幹 より:

    古い記事への質問です。本当に申し訳ないです。
    ファットマンの丸い黒い塗装、あれの意味を教えていただきたいです。
    どなたかご存知でしたらお返事いただきたいです。

    • a6m3zero より:

      私も不思議に思ってましたので調べました。まず、ファットマンは視認性(爆弾が落下していくときに良く見えるように)をあげるために「黄色」に塗られました。しかし、重要な部分は黒い塗料でシールされたようです。爆弾のつなぎ目とか重要機器の入っている所は「黒色」のシーラントで塗装されました。おかげさまで私も納得がいきました。

      • 小堀和幹 より:

        こんな私のためにわざわざご返信いただき、本当にありがとうございます。
        シーリングのために塗装していたのですね。

        ご丁寧なご教示ありがとうございました。

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