ハーシー・チョコレートの故郷


昨日今日と仕事でペンシルバニアに行ってきました。

国道(インターステート)78号線をひたすら西へ走ります。朝はニューヨーク方面へ行く東行きが混んでいるので西行きは楽。太陽も背に出来るので眩しくないし。快適。

途中で戦車みたいなのを運んでいるオーバーサイズのトレーラーを見た。ペリスコープが付いているから戦車の類でしょう。なんだろね、これ。

ペンシルバニアの山です。なんか、いい雰囲気ありますね。

メーカーさんはCornwallという処にあるのですが、ここはもうアーミッシュの世界に足を踏み入れた地域。地道を走っていると彼らのバギーとすれ違います。バギーの後ろには自動車が連なります。なかなか追い越せない。これはここいらでは普通に見かける景色で、車の運転者も完全に諦めております。

仕事で時間が空いたので車を走らせていたら「Hershey」まで12マイル、という道路標識があった。20分くらいで行けるから行ってみました。

ようこそハーシーへ、という看板、、、、続いて「これよりハーシー」という意味の町のサイン、、、来たぞォ、、、

ハーシー・スクールというのも出てくる、、、

町へ入ると、、、おお、、見えた、工場であります。ハーシーズの本拠地です、、

煙突がなんとも言えない雰囲気です、、

もう工場の周りはカカオとお菓子の匂いが漂っておりまして、なんだか嬉しくなってきます。面白いですね、お菓子工場の匂いっていうのは人を幸せにしますよね。私が小学生の頃、我が家の近くに「灘製菓」という工場が有りました、この工場の前を通るのが好きでした、何時も甘い匂いが漂ってくるのであります。そんな昔を思い出しました。

ハーシーの博物館もあります。私が写真を撮っている通りはなんと「チョコレート通り」という、、、

私個人的にはハーシーズのチョコレートは食感がもう一つ良くない感じがして好きではないのですが、戦後すぐの『ギブ・ミー・チョコレート』の時代のチョコは全部ハーシーズだったわけでして、その当時はこんなものが世の中に有るのか、と感動するくらい美味しかったですね。滅多に食べたことないけど。

ハーシーの町はアメリカの町にしては落ち着いた綺麗な町でした。大恐慌の時代にもハーシー工場は失業者を出さなかったそうです。

何故こんな辺鄙なペンシルバニアの片田舎にチョコレート工場を作ったのか、というと、元々この町はDerry Townshipという名前であります。Mr. Hersheyの故郷でもあり、工場を作る時に周辺の酪農が盛んであったことが決定的な要因だそうです。ミルクチョコレートを作るのに酪農家の良質な牛乳が手近にあることが必要だったわけです。特に創業は100年くらい前ですから輸送手段が未発達の頃で牛乳の産地が近くないといけなかった訳です。

何気なく見ていたこの景色がハーシーズの工場をここに呼んだわけですね。

ミルトン・ハーシーさんは学校を作ったり図書館を作ったり自衛消防団を作ったり、なかなか慈善事業とかして地場の社会貢献もしております。何時か暇をみつけて「チョコレート博物館」を見てみたくなりました。ハーシー・パークも隣接しておりましたが、私は興味なし。

↑写真はちょっと変わったアーミッシュの家屋。ソーラーパネルを屋根いっぱいに装備しております。彼らは太陽電池とか風力電池とかの電力は使って良いのです。ハイテクの波はアーミッシュの生活も少しずつ変えているようです。

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